2015年4月12日日曜日

1. 佃節子さん「色を大切にし続ける、という味」




「色の組み合わせを変えるだけで、見た目が全く変わるでしょう。どこの場面でどんな色を使おうかなと考えるんです、どんな時でも」



佃 節子さん5


豊かな笑顔で語るのは佃節子さん、御年97歳。奇しくもインタビューに訪れた日がちょうどお誕生日であった。現在、神奈川県横浜市の閑静な住宅街に暮らす。
お迎えしてくださった彼女は、とても100歳を間近に控えたようには見えないほど背筋はピンとし、ワインレッドのカーディガンが知性を漂わせている。「今 日は私のためにありがとうございます」と深々とお辞儀を頂戴し、むしろお願いしたのはこちらの側であるのに、とその腰の低さに圧倒され、そしてそのまま彼 女のあたたかな世界へ飲み込まれてしまった。肌のツヤは内側から湧き出でる熱量の証と言わんばかりに、弾ける表情はとても印象的である。その後も途切れる ことなくころころ変わる様相は、会話するものをいつまでも飽きさせない。彼女の歓待の流儀なのかもしれない。

節子さんは、文筆家を親族に持つ芸事達者な一家に生まれる。女学校時代に華道と茶道に出会い、ものを通じて自身を表現することにのめりこんでいった。
「活けていくとどんどん変化があって、いろんな形を作れるところがいいですね」
同じ種類の花を使っても、活ける人によって全く違った姿形をなす華道の楽しさをこう語る。花の色の配置によってできあがる画が変わる。色をアレンジできる華道は、今でも大好きだそう。
色彩は彼女の大切な表現ツールになっている。

女学校卒業後、日経新聞社に勤める正弘さんとご結婚。戦後の混乱の中、お二人で力を合わせながら家庭を築いていった。
「本当に厳しい人だったんですよ、私が話をしていると『結論から言いなさい!』と怒られたりして。主人が仕事から帰ってきたときに、私が家にいないと怒ら れたりもしましたね。うっかり電気をつけっぱなしにしてしまっていると、日本のためにならん!と指摘されたり、もう大変だったんですよ」
節子さんが78歳のときにご主人は亡くなられたのだが、生前を思い出しながらどんどんな柔和な表情になってくる。口を突いて出る言葉は少し厳しくとも、その仲の良さは容易に想像できる。

節子さんは続ける。

「私の青春は、主人が亡くなった後に始まったんです」
  

佃 節子さん1


意外な言葉だ。
当時にしては節子さんの結婚時期は遅めで、7人兄弟の長女であったが、妹たちが先にお嫁に行ってしまった。自分のやりたいことをやってのびのび暮らしていたのだが、ご結婚を機にそうもいかなくなってしまったようだ。
78歳で再び自分の時間ができたときに、節子さんはやりたいことを次々始めることとなる。

「まずは俳句に再びのめりこみました。きっかけは結婚してすぐの時に主人に誘われて、『お前は俳句をやりなさい』と」
ご主人はやらなかったんですか?
「やらなかったですね。『僕がやったらお前に悪いから。お前よりもすぐに上達してしまうから』って。『お前が機嫌を損ねるだろう』って言うんですよ。でも、私がいないところで『家内の俳句はなかなか良い』と言っていたみたいですね」
ご主人の優しさが垣間見える。
時間ができてから、俳句の師匠に付いてさらに学びを深め、大会に出場するまでになった。
「句会では1,000ほどの句が集められて、その中から優秀句が5つ選ばれるんですよ。その中に入った時は嬉しかったですね。大きなホールで表彰式を行う のですが、私はホールのずっと後ろの方に座っていて。名前が呼ばれて舞台に向かって歩いて行く最中、客席の人がみんな大きな拍手を寄せて、おめでとう!と 声をかけてくれるんですよ。あれは本当に嬉しかったです」
厳しい師匠のもとで諦めずに研鑽を積み、成し得た技である。その後、個人の句集も出版。師匠がとても喜んで250冊を引き受け、知り合いに配り回ったそうだ。それを読んだ方から連絡があり、後日新聞にコラムを掲載することにもなる。


佃 節子さん2


俳句を作るためにわざわざ旅に出ることもあるそう。
「本当に感動しないといい作品はできないですからね」
一方で見慣れた窓から見えるいつもの情景にも、些細な変化を見出し、そこに感情を乗せることを丁寧に行っている。
「ああ葉に色がついたなぁ、少し散ってきたなぁ、今日はよく鳥が止まりにくるなぁ、と小さな変化も俳句を作るのに大切なんです」
なぜここまで俳句に情熱を注いでいるのか。
「俳句は季語があるでしょう。春には春の夏には夏の。その言葉を入れるとパッと色がつくんですよ」
外の色を内に取り込み、自身の色として醸成したもの五・七・五に重ね合わせている。季語は直接的な色ではないが、色を想起させる単語を使うことで自己を表現できる。これが、色を愛する節子さんの情熱の元なのであろう。

また彼女は80歳から日本舞踊を始めた。
「80歳でもできるでしょうか、と先生に尋ねたら、どうぞと言われたので、よしやってみよう、と思いまして」
その時先生は63歳。大きな挑戦だ。
8年後、節子さん88歳の時に大きな舞台で演じることとなる。
「プロの踊り子さんばっかりだったんですよ、まわりが。なのでプロの方々が私の準備を手伝ってくれたんです。メイクもかつらもプロの方、着付けは男の人3人がかりでしたね」と嬉しそうに写真を見せてくださる。バッチリ決まった一枚だ。


佃 節子さん3


踊りを続ける中で一番気を使っていたことは、お着物だそう。
「踊りによってどの着物にしようか考えるんです。こんな振り付けの時は緑、こんな踊りの時は紫。帯の色も帯締めの色も、組み合わせるのが楽しいですね。雰囲気がガラッと変わるでしょう?」
色調も踊りの中の大切な要素。そう話す節子さんは、普段の装いも洗練されている。お洋服の組み合わせやメイクにもこだわりが伺えるのだ。
「このお洋服の色にはこれが合うかしら、この組み合わせが素敵かしら、と考えるのが楽しいんです。この色には絶対これを合わせよう、とか毎度洋服箱をひっくり返していますね。小さいときから紙で作ったおかっぱの人形で、着せ替え遊びするのが好きだったんですよ」

さらに、新しく始めたこととして「折り紙」がある。これも色の足し引きをすることで、同じ形のものでも違う風合いが出ることが興味を持つ理由だそう。本を見ながら独学で技術を磨き、数多くの作品を生み出している。
「配色を考えるのが好きなんですよ。黒の折り紙も余らせないようにね」と複雑に折り込まれた鞠を手に取りながら話す。1つの鞠を作るのに12枚もの折り紙を使う。等間隔で廻る複数の色のコントラストが可愛らしい。


佃 節子さん4


少し体調を崩して入院していた時も、病室で折り紙を折っていたのだが、あまりの出来栄えに看護師さんが気に入って職場に飾りたい!と持って行ったほど。
「せっかくいただいた命だから、私も何かに貢献しなくちゃと思って。折り紙をたくさん折って、通っているグループホームに差し上げています。テーブルの上にあるだけで、会話がはじまるきっかけになるんですよ」
節子さんが命を吹き込んだ作品は、人が繋がりやすい空間をつくりだしてしまう。

次々と新しいことに取り組むその熱源について伺ってみた。
「続けることですね、やっぱり。大変だなと思っても嫌だなと思っても、続けること」

節子さんは、続けることでやる気を起こし、やる気が起きることで続けることができる。外に理由を求めるのではなく、自分の中でぐるぐると育てることができるのだ。
「ほら、私ってしつこいんですよ。だから続けられちゃうんです、しつこい性格だから」
とお茶目に笑う。
こんな表現をして謙遜しているが、「しつこさ」だけでは到底ここまで楽しめない。

「色の組み合わせを変えるだけで、見た目が全く変わるでしょう。どこの場面でどんな色を使おうかなと考えるんです、どんな時でも」

内から溢れる思いを色に託し、目に見える形で周囲に伝えることができる。人はそれを見て「あぁ、いいな」という気持ちをふわっと湧かせることができる。
彼女の手先が紡ぐひと味は、自分のための趣味快楽にとどまらず、色を使って広く他者も包みこむ共楽の時なのだろう。






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